「空のむこう側」
一人でいる時間が子供の頃からわりと多かった私にとって、
空に浮かぶ雲を見て時間をつぶすことが癖のようになっていた。
一つ一つの雲は形を変え、ゆっくりと、時には速く動いてゆく。
動いているのか止まっているのかさえ感じられない時もある。
雲の上はどうなっているのだろう。
流れている雲は一体どこに行ってしまうのだろう。
数々の想像をめぐらせながら、私の中の時間もゆっくりと、
時には速く動いていたようにも思う。
日々の喧騒の中、ふと空を見上げるとそうした子供の頃にみた風景、
数々の経験、想像が時空を超え、連続することなく今の私によみがえる。
普段ではとうてい思い出すことのできない記憶、それが
なにかのはずみで思い出される時、なつかしさを感じることもあれば、
哀しみを憶えることもある。
雲は、時間は、絶え間なく動き、流れているのに、記憶というのは
なぜ瞬間的で不規則的なのだろう。
そしてまだ忘れている部分は一体どこに潜んでいるのだろう。
そんな風に考えている間にも、時間は刻々と過ぎてゆく。
時間は記憶をどこに連れて行こうとしているのだろうか。
私はこういった事を想像しながら、雲、風をモチーフとして石を彫っている。
石の持つ永遠性、重量感はこのモチーフ、題材には矛盾しているかもしれない。
だがそれらを地上に降りたたせることによって見えないむこう側が
見えるかもしれないと思うのである。
そして、それを媒体として時間と時間、記憶と記憶のはざまを探っていければと
思っている。
見えない部分、忘れている部分には果たして過去があるのか、未来があるのか、、、
季刊雑誌パルファム秋号掲載(1997)