Stone Sculptress Yuko NAGASAWA

〜ごあいさつ〜
1997.07.14〜07.19in ときわ画廊

私が作品を制作するにあたってテーマとしている事柄は
3つほどあります。

一つは時間の流れということ、2つめは記憶ということ、
3つめはそれらを統括した上での未来ということです。

時間というものはいつのころから続いているのでしょうか。
毎日石を彫っていると、瞬く間に時間は過ぎて行きます。
そんな中、私がその20年以上の時間のすべてを覚えているかというと、
とうていそのようなことは出来ません。いろいろなエピソードが
瞬間的に思い出されるばかりです。

映画のフィルムを見た事がありますか。一つ一つのコマには
一人の人が歩く瞬間がうつされています。
それを映写することによってその人は私達が通常見る様に
普通に歩き回ります。
私は、時間というものも、もしかしたらそういった
一瞬のつながりなのかもしれないと思ってしまうのです。

私達が呼び覚ます記憶の一瞬は一体どこにあるのでしょう。
そして、思い出せない記憶の一瞬はどこに潜んでいるのでしょう。

そのように考えている間にも時間は刻々と過ぎて行きます。
時間は、記憶をどこへつれて行こうとしているのでしょうか。
そして又、置いていかれた記憶は一体どうなってしまうのでしょうか。

私は、はっきりとした記憶、はっきりとした時間よりも、
忘れてしまっている部分に何かひそんでいるのではないか、
とそんな気がしてやみません。

私はこういったことを想像しながら、モチーフとして、
風や、雲を取り上げた作品を制作しています。
なぜこのモチーフかというと、目では見えない時間を
肌で感じる事ができ、そしてまた
目で見る事の出来る時間の流れの様に感じるからです。
そして、それを媒体として、時間と時間、記憶と記憶のはざまを
探って行けたらと思っています。

そして今日お越し下さった皆様がこの先、
何を忘れ、何を覚えているのか、
それを想像しつつこの展示を行ないます。

どうぞ作品に触れて下さい。人間のもつ感覚を、生かしてみてください。

本日はご来場くださり、誠にありがとうございました。

1997.07.14

〜シンポジウム参加にあたって〜
1997.07.20-08.31 in Artists' Camp in KASAMA


石はかたいのか、やわらかいのか。

石はつよいのか、よわいのか。

石はおもいのか、かるいのか。

たった何年かしか石を彫っていない私にとって、まだまだこの答えは
出せそうにもありません。

そしてまた、私が生きてきたよりも、何倍もの年月を経てきた石は、
どれほど多くのことを見てきたのでしょう。

忘れてしまっている記憶を探り出そうとしている私にとって、
石のもつ膨大な記憶を一片でも探ることは大変難しいことです。

最近石を彫るにあたって自分の求めているものを
石に対して押し付けてしまっているのではないかと思う事があります。

今回、手ぼりを中心としたこのシンポジウムにおいて、
石との対話を楽しみながら石の持っている記憶、
私の持っている記憶の姿を現わしていけたらと思っています。

1997.07 初旬


「空の記憶」

実はこの作品には
もう一つのタイトルがあります。
彫り始めたのは私ですが
残りは風や雨、そして
いろんな人によって
この作品は出来上がってゆきます。
「終わりのない、始まり。」

1997.8.31

空の記憶

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