sculptress Yuko NAGASAWA

訪問地のエピソードを思い付くまま、思い出した時に、書き綴っております。



マドリッド

ビッグトラブル/チャマルティン駅

ビッグトラブルな駅ではない。ちなみにチャマルティン駅とはマドリッドの駅の一つである
旅程でパリからマドリッドに夜行で向かう。
前日に大きな荷物はチッキ(懐かしい言葉!)にして
チャマルティンで意気揚々と受け取るはずだった。
だが荷物はパリ/オーステルリッツ駅の一時預かり所に保存されたままだった。
ちなみに現在のスペイン行きはオーステルリッツ駅発ではない。

チャマルティンの荷物受取り場とインフォメーションカウンターを行き来し
荷物受け取り場のお姉さんに中学英語単語をまくしたて説明をし
気持ちが通じたのか根負けしたのか
上司の樽腹のおじさんが
インフォメーションの受け付け嬢に交渉をしてくれた。
目配せをして口笛と共に立ち去ってしまったおじさんに感謝と一抹の不安を覚えながら
カウンターの目の前に陣取り何度も説明と視線を向けながら
最終決着まで7時間過ごした

すべては私の言語不足と知識不足と確認不足だった。
だが私にも言い分はあった。
パリの駅で'スペイン'と言いながら

荷物を渡したのだから。
受け取ったおじさんも
'Ah!スペイン!いいねえ!(多分)
'
と答え荷物を抱えて消えていったのだから。

そして荷物は旅程でむかう事になっていた
バルセロナの駅で翌々日の昼、受け取る事になる。

1993.6



ナポリ

ナポリへ続くその名も'太陽高速道路'

ローマ滞在中ポンペイを訪れる為、滞在時間の都合で苦手な団体バスツアーに申し込む。
ポンペイは想像以上に時間が少なく次は個人でと思いつつ再びバスにのりこむ。
バスは一路ナポリへ。
イタリア人は車を飛ばすので有名だが
観光バスだって当たり前。
さて
高速道路の反対側をふと見ると車が一台も走っていない。
さすがイタリア、みんな飛ばすぜ
などと思っていたら
前方にモクモクと煙があがっている。
焼き畑か?住宅火災か?
と思ってみていたら
4車線位はありそうな道路のど真ん中で小型トラックが横転、炎上していた。
そこから後ろは大渋滞。
とにかく突っ走りイタリア人もなすすべなく
走り抜けることもできず

横を走り抜けた私の頬までも
熱さを感じるくらいの
大炎上だった。

さすがイタリア、野次馬走りもしなかった。

1999.7



イドラ島

Dog and dock

観光客相手のかけ声を無視しながら
桟橋近くの砂浜
に立つ。
遠くない場所に犬が一匹いた。
ふと目があったのでこんなところで噛み付かれてもと思い
犬に営業スマイルをする。
ついと歩き出したので行く手をみると犬もまた私を振り返る
少し距離を持ち後をついて歩きだす
犬は振り返りながら
少しの坂道を上がり
少しの坂道を下り
ふと駆け出した
その行く先には
小さな入り江
海が広がっていた



ほどなく
犬はまた歩き出したので
私もまた後をつき
そして来た道を戻る

同じ砂浜に辿りつくやいなや
友だちの2匹の犬を見つけ
その犬はふたたび駆け出していった

3匹の犬は飼い主らしきヒトにたしなめられながらも
私に近づきながらわんぱく小僧の様にじゃれまくる
近付いて来た一匹の犬に
少し足をはぐっとされたが
それは親愛の印だったのだろうか

夜ホテルにて化膿止めを服用する私ではあったが

1998.3



トレド

エル・グレコ

エル・グレコ
ギリシャから来たヒト
の意味
城壁に囲まれた小さな街・トレド
先日マドリッドの美術館でみた彼の絵は
なんだか日に灼けて褪せていた
ここトレドで見た彼の絵は
光によってその彼の色の深さを損なわないように
丁寧に陳列されて
いた

異邦人だった彼
太陽の国から来たエル・グレコ
彼はそんな事を望みながら
絵を残したのだろうか

もちろん私にとっては
彼の色の深さを丁寧に見れることは
とてもいい事には違いないが

sopa de ajo
にんにくのスープと
安ワイン
メインディッシュ
しめて990ペセタなり。

1997.11



ランス

ブルーシャガールブルー



大学に入る前に何度も何度も画かされた
石膏像の本物を
改修工事の金網越しに遠目で眺めたあと
重い木戸を開け
静かな大聖堂をそっと歩く

一番奥まったところに
それはあった

それ程多くはないが
色々なステンドグラスを
色々な教会で見てはきた

それぞれ誰かが手掛けたものに違いはないが
誰か
が手掛けたもの
として見るのは
初めてかもしれない

首が痛くなる程見上げて見る
薔薇窓がやっぱり好きだけど
このステンドは
色に包まれて
わりとイイかもしれない


さて次は
シャンパンの町に移動だ

2000.6